希死念慮憑きの独り言。

精神を病んだ人間のダークサイドです。鬱々しているので、オススメしません。

生きることは地獄を歩くこと。

私にとって、この世界に生きることは地獄を歩くことと同義です。
この世は、生き地獄です。
それを私には強要して、自分たちは楽しいところにいる、そんな両親。

両親は生きていることが苦にならないようで、私の希死念慮も全く理解できず、心を寄せることすらしません。
私が、ただ生きる、そのことでどれほど苦しんでいるのかなど、想像もしないようです。

衣食住には、一応困らずに生活しています。
思いっきりよく、パラサイトですが。
母親との会話で、衣食住に困るようなら首を吊るからいい、と言ってしまい、ものすごく不快感をあらわにされました。

私は、嫌なことをされてもほとんど表情に出ません。
負の感情を表さないように、自分を律した子供だったからだと思います。
私が覚えている原初の感情は、私が泣いたらママに迷惑が掛かる、私はママに迷惑を掛けちゃいけない、だから私は泣いちゃいけない。というものです。
そのため、記憶にある限り声をあげて泣いたことはありません。

そんな幼少期の私は、とてもかわいそうだと思います。
泣くことも我慢する子供なんて。
実際、骨がひしゃげる程の怪我をしても、泣かずに痛いとも訴えずにいたため、病院へ連れて行かれず、骨はひしゃげたまま成長しました。

泣いたとしても、黙って涙を流す、などというもの。
いまだに声をあげて泣く、ということはできません。

昔の自分に何か言えるなら、という話を聞いたことがあります。
泣いていいんだよ?でしょうか。
死ねさえすれば、楽になれるよ。生きてても良いことなんかないよ。だと思います。

生きてて良かったと思った記憶はありません。
死にたくないなんて、1度も思ったことはありません。
これからの人生、幸せだけが待っているとしても、これまでの苦しみを思うと、死ぬことが唯一の救いです。

両親は、なぜ私に地獄を歩かせるのか。
自分たちは、この世を地獄だと思っていないから。
自分たちさえ良ければ、それでいいから。
私がどんなに苦しもうが、自分たちの人生を彩るために、人生のちょっとした楽しみのために、私を生かしておきたいだけ。
もしくは、世間体?

自殺未遂の時は、お父さんとお母さんのためだけでいいから、生きていて、と泣かれました。
両親にとって、私は何でしょう。
人格も痛覚もある一個の人間ではないのでしょうか。
自分たちが楽しければ、私も楽しいとでも?

こんな地獄に堕とした上に、そこを歩き続けることを強要するなんて!

Cocco美しき日々という歌の、望まれてもないのに殺されもしなかった、という歌詞。
まさに、私がそれだと思います。

私が生まれなかったら、仕事を続けるつもりだったという母親。
それを、私は胎児の時に知ったのかもしれません。
私は、望まれて生まれてきたわけではないんです。

両親はよく、居間で録画したテレビを観ています。
私はその間、自室に引きこもります。
たぶん、その時の感情はさみしいです。
家のなか、ひとりきり。
両親の関心は私には向きません。

退屈で、何もしたくなくて。何もする気力がなくて。ただただ、時間が過ぎるのを待っている。
子供の頃、同じことがありました。
週末、弟の付き添いで出掛ける両親。
私は、家にひとりきり。
窓から両親が帰ってくる方向をずっと見て、ただただ待っていました。
週末ごとに、そんなことがあった気がします。

泣いたり喚いたりしなければ、平気だとでも?
私は、さみしいという感情がわからず、表に出せませんでした。
それも、確かに苦痛だったのに。
苦痛を我慢し続けた結果、痛くても辛くてもさみしくてもしんどくても、表現できなくなりました。いえ、最初からそんな負の表現はできなかったように思います。

ひとさまが痛いのは、自分の痛み以上に痛いと感じます。痛みを想像してしまうんです。
子供の頃は、他のひともそうだと思っていました。
私が痛がったら、周りのひとは私以上に痛い思いをしちゃう。
そう思ったから、我慢し続けたんです。
ひとの怪我の方が痛そうなんです。
精神的な苦痛にしても、私が傷付いていることを知ったら、私以上に傷付いちゃう。そう思っていたんです。

哀れな子供。きっとそれはいまだに治らない傷。
些細なことでとても傷付くのに。