希死念慮憑きの独り言。

精神を病んだ人間のダークサイドです。鬱々しているので、オススメしません。

放置は虐待か。

幼い頃から、放置されていることが多かったように思います。
手の掛かる弟が生まれてからは、きっと一層。
私は、お姉ちゃんなんだから、とは言われたことがありません。
けれど、言われる前に長子として、おとなしくいい子でいるようにしていた節はあります。

放置は、無関心は、虐待に近いものがあると思います。
私は、ストックホルム症候群というものを知った時に、自分がそうかもしれないと思いました。
殴る蹴る、罵声を浴びせる、などの虐待は一切受けていないはずです。
でも、放っておかれることが多かったんです。
放っておいてもいい子にしていたから。

私は、悪いことをして気を引くのではなく、いい子にして誉めてもらえることをひたすら待ちました。
けれど、いい子にできるから、放っておいても平気だと判断されたのかもしれません。

放置された私は、幼いなりになんとか自分をなぐさめようとしたのか。惨めに思われたくなかったのか。
ひとり遊びをする子だったと思います。

この、惨めに思われたくない、というプライドのような感情は、同情されるべきところを同情すらされないよう見せかけてしまいます。
平気に見せてしまうんです。

私は中学生の時、ひとさまの家の壁に落書きをする、という罪を犯しました。
当時、唯一私の相手をしてくれる子に誘われ、断れなかったためです。
断ったら、相手をしてくれなくなる。その強迫観念が、私を犯罪に走らせました。
それでも、惨めに思われたくなかったがために、まるで自分の意思でそうしたかのように振る舞いました。
母親に泣きながらなじられたことは、今でもよく覚えています。
けれど、ひとりの孤独に耐えきれなくて、その子の命に従うしか選択できなかった惨めな私を認められなくて、言い訳すらできませんでした。

なぜに孤独だったのか、と言えば。やはり弟に掛かりきりだったのか、とにかく私はかまってもらえていなかったと記憶しています。

その子は、私を虐めるような時すらありましたが、私は孤独を恐れるあまり、一緒にいました。
虐められようが、惨めに思われたくなかったので、平気なふりをして。
なので、誰も私が主犯ではないとは思わず、私とその子のふたりが悪いと思ったことと思います。
平気なふりをした私は、悪気すら感じていないとても悪い子に見えていたのかもしれません。
それでも、惨めに思われたくなかったんです。

放置されて、ひとりきりで、やるせない。
それを表す方法は今も私にはありません。
さみしいのだと思うのですが、それが自覚できず ただしんどいです。
昔も今も、時間の経過だけを待っている。夜の眠れる時間を待っているのかもしれません。

両親は、私が好んでひとり自室に引きこもっている。そう思っていると思います。
耐えがたきを耐えるように、こうしているとは夢にも思わず。