希死念慮憑きの独り言。

精神を病んだ人間のダークサイドです。鬱々しているので、オススメしません。

希死念慮憑き。

希死念慮、というのは簡単に言えば、死にたいという気持ちです。
それが、私には取り憑いているかのように感じるので、自分のことを希死念慮憑きだと思っています。

そんな想いを吐き出すために、このブログを始めました。
苦手な方も多いと思いますが、独り言を言わせてください。

私の希死念慮は、私がこの世に堕とされた時にはすでに私と共にありました。
生命として誕生してしまった時、希死念慮も共に誕生しました。
まとわりついて離れません。魂と複雑に絡み合い、切り離すことは不可能だと思われます。

死を望みながら、生きること。
それは、死にたくないと思うひとが毎瞬殺されているようなものかと思います。
想像しやすく言えば、眠る度に殺される夢を見るようなものです。

私が求めるものは、永遠の安寧。それだけです。
それは、生きている限り、手に入りません。
他に何もいらないから、生きることをやめさせてほしい。
けれど、両親はそれを許しません。

自殺未遂は何度か。
1度、意識不明までいけたのですが、蘇生させられました。
ただ生きていることがしんどい。とても、とてもしんどい。
それが想像できないどころか、思いやることすらしようとしないで、生きていることを強要してきます。

でも、私は生きていたくない。
そもそも、生まれてきたくなかったんです。
生まれてくることさえなければ、こんなに苦しむこともなかった。
生まれてきたことを、心底呪っています。

恵まれていることを、申し訳ないとしか思えない。
それは、不幸な思考回路です。
お箸が転んで、笑うか嘆くか。
幸せな思考回路と不幸な思考回路は、同じ事象がおきた時、それを幸せと思うか不幸と思うかだと思います。
そして、それは生きてきた間に思考回路として成立してしまい、何事でもそのようにしか考えられない。

私の不幸な思考回路は、常に私を不幸にしています。

脳の間違った作用だと聞いても、私がそう感じるのなら、私にとってはそういうことなんです。
それが、私にとっての真実なんです。

希死念慮が、身体の病気のように手術で取り除ければいいのかもしれません。
けれど、見ることも叶わないそれは、身体のどこにもなく、当然取り除くことなどできません。
一生、治ることなどないんです。
身体の病気のように、死に至ることもないんです。

生きている限り、苦しみ続けるだけの病。
それが、希死念慮だと思います。