希死念慮憑きの独り言。

精神を病んだ人間のダークサイドです。鬱々しているので、オススメしません。

耐えた私は報われない。

22年前、いわゆるいじめにあっていました。
私は異質なので、致し方ないと言えば致し方ないことだったのかもしれません。
人間に限らず、生物は異質なものを排除しようとするものだと思うので。

思い起こせば、孤立した子供で、攻撃を受けなかっただけで、22年前以外もいじめられていたといえばいじめられていましたが。

22年前は、無視から始まり、聞こえるように悪口を言われるレベルでした。
そこまで凄惨なレベルではなかったとは思います。
けれど、毎日本当に辛かったです。

痛む胃に、毎朝ごはんを無理矢理つめて。
私は、学校に行きたくないと言わず、通い続けました。
私がいじめられていることを知ったら、母親が傷付く、悲しむ。その一心で、家にはひた隠しにして、学校へ通い続けました。
そして、私が死んだら母親が悲しむ。その一心で、死を選ぶこともせず、ただ耐えました。

どうして、あの頃に死んでおかなかったのか。
いじめという、他人にも納得できる部分があるであろう理由があるうちに。

私が必死に守ろうとしていた母親は、私をなじります。
今日は、紅茶を飲んだ、それだけでなじられました。
そして、そんなことは全くなかったかのように、へらへらとお楽しそうにしています。
私を傷付けても、気付かないようです。
でも、私が傷付いたことを訴えたりしようものなら、さらになじるか無視をするか、とにかく機嫌を悪くします。

耐える以外に、私はどうすることもできないです。
22年前に、死んでおけばよかったと思いながら。
母親のために耐えた私は、その母親のために傷付いて、報われないということを思い知ります。

努力すれば報われる。そんな、夢のような話。
私には、報われる日は来ないのだと、ことあるごとに思い知らされますが、学習能力がないのか、ただ耐えようとする。

私なんか、生まなきゃよかったのに。
なじられるたびに思います。
口にした日には、さらになじられるか、盛大に嘆かれるか。
顔色伺いばかりしてしまう私は、それもまた口にできないです。

どうして。生きていなければならないのか。
矛盾が嫌いな私は、自己存在を否定しながら存在し続けるという最大矛盾に苦しみながら、死ぬことを選べない。
どうして。死んではいけないのか。
私には、きっと一生わからない。